最近、ダーウィンさんの言葉にふれました
『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である。』
なるほどなあ。
勝手な想像ですが南米のサッカー選手なんかはこの言葉を体現し生き残るセンスにたけていると思います。
真夏の暑い時期に行われる試合では味方の選手の足が止まってきたと感じるとさりげなく転び試合を試合を止めます。
味方に給水をさせ少し休ませるためでもあるのかもしれません。
ずるくて相手側は批判しますが仲間想うがゆえの行動だったりするし、ましては負ければそこで終わってしまう重要な試合ならば頭で分かっていても本能的にしてしまうのかもしれません。
一流クラブのサッカー選手なんかは試合に負けた翌日、メディアに戦犯扱いされると外を歩くと嫌味を言われて苦痛だと感じる選手もいると聞きます。
似たようなものだと昔、甲子園で星稜高校の松井選手が全打席敬遠されて問題になったこともありますよね。
背負っているものが大きいからこそ、思い切って反対に舵をとる。
自分にできるでしょうか?
今の器の小さな僕は批判を恐れてしないでしょう。
逆に批判覚悟で思い切った行動をする人もいるでしょう。
価値観の多様性化という言葉を耳にする機会も増えました。
多様性の時代だからと言ってしまえばそれまでですが、なんでもかんでもその言葉に置き換えて思考停止することも腑に落ちません。
また一般的には○○で~と言って片付けてしまうのも変化を恐れ革新の妨げになるような気もします。
その場その場の最適解を常に考えて実行でるようになるのが自分の理想ですかねー。