いつも私はパスタにくるのに電車を使うんです。
パスタからはちょっと歩くんですが、一応最寄り駅は水前寺駅ということになります。
その水前寺駅の改札の横にはお店を出す用の小さめのスペースがあって、
結構長いことお店が何もなく、シャッターが閉まったままになっていたんですが、
先日タピオカ屋さんがオープンしてました。
いつのまにか。いきなり。青天の霹靂。
私は「たぴおか」とかいうナウなヤングにバカ受け真っ最中のマストバイアイテムはあんまり興味がないOSSANなので、スルーをかましたわけなんですが。
おそらくオープン初日であろう日、そのナウな(ry)お店は、いわゆるJKもしくはJCが結構な列をなしていたんです。
見事にJばっかりです。Dが、Dがいないんです。
そこだけすっごくきゃぴきゃぴしてました(古典的表現)。
いつもは人影があまりないのに。
どうした水前寺JK。どこに身を潜めてたんだって。バックトゥザ水前寺。
その光景を見て思ったんですが…JとかDはどうでもいいとして。
よく、年を取ると感性が若いときのそれとは大きく変わってくるとかいいますね。
自分が若い時もそんな風なことを感じてたような気がします。
年が離れた人との違和感というか。
遠い彼方なので記憶にございませんが。
若くない人たちは、皆が皆、知ろう理解しようとしていないわけではなくて。
でもなにかが違うんですよね。なんかズレている。
若くない今になって思うのは、そういった類の情報の流入源がないからなのかなあとか思ったりします。
SNSとかもそうでしょうが、学校って大きい情報源だなあって。
普通に会社で働いていたら、流行りの音楽とかドラマ、オシャレなファッションの話なんかあんまりしないですよね。おっさんが。
どちらかというと仕事の話とかのほうがウェイトが多いですよね。おっさんは。
おじさんは会社の飲み会とかで
「このまえTikTokで超ウケる(死語)動画が~」とか「インスタのフォロワーが爆増して~」とかあんま言わない。
日経新聞とかにも書いてないし。
「今度エモモで配信するからみんな来て~」とか同僚のおっさんに言われていきますかって話です。
怖いもの見たさで行くかもですけど、おじさんが集まってエモモやってるのを想像すると正直ちょっとアレです。
だからといっていつまでも若い気で、若い人と同じことをし続けるのもちょっとどうかっていうのもあります。
なんか社会的に。大人として。そういう抽象的な言葉を使ってみたりして。
ただ、意識して情報の流入源を確保することだったり、情報を見つけたら、知識として蓄えるだけでなく、実際に使ってみることって大事かなああって。
そう思ってタピオカなるものを飲んでみたんですが、もういらないです。ぴえん。